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「東京」をテーマにした邦楽ロック 15曲

「東京」という都市が内包するものは、切り口の数だけ見つかるのではないでしょうか。今回は総勢14組のアーティストの作品、計15曲の「東京」がテーマとなっている楽曲を紹介します。東京が歌詞に入っているもの、タイトルに東京が入っているもの。都会の陰と陽、楽しさと寂しさ。あなたはどの曲に共感しますか?


では、プレイリスト風に。
※曲名/アーティスト/収録アルバム の順に記載します。


1. 東京ハチミツオーケストラ/チャットモンチー/耳鳴り(2006)
「地下鉄の地図 突っ込んでさ」に憧れた青春――わくわく上京ソングyoutu.be


2. ムーンライトステーション/SEKAI NO OWARI/Tree(2015)
都会のキラキラは月にも負けない?現代版かぐや姫ファンタジー☆彡

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3. トーキョーシティ・アンダーグラウンドパスピエ/幕ノ内ISM(2014)
「オーバーグラウンドのアンダーグラウンド」へ迷い込んでみる?

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4. Tokyo Techtonix/avengers in sci-fi/Unknown Tokyo Blues(2014)
都会の近未来感・無機質感って音にするとこうなるよね
Tokyo Techtonixは4曲目ですが、非常にコンセプチュアルなアルバムなので一枚を通して"未来都市 TOKYO in 20XX"を堪能できる作品。オススメ!(突然の布教タイム)

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5. モノクロトウキョー/サカナクションDocumentaLy(2011)
上京後の挫折や、現実と夢とのギャップに悩まされて葛藤する心模様を描いた一曲。
「東京 モノトーン 憧れ フルカラー」という4単語に一切の過不足ない。さすが。


6. 東京タワー/The Cheserasera/WHATEVER WILL BE, WILL BE(2015)
涙で見えなくなるのは未来か、希望か、それとも自分自身?

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7. Contemporary Tokyo Cruise/cero/My Lost City(2012)
ceroって邦楽「ロック」じゃないよね。だけど載せたかったんだわ。

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8. 東京/People in the box/Family Record(2010)
世界への出発地点、ハブとしての国際都市TOKYO
アルバム『Family Record』の一曲目を飾る曲。この後に収録されている曲群には国や都市の名前が冠されています。…レテビーチってどこやねん。


9. 東京/Base Ball Bear/DETECTIVE BOYS(2010)
東京は、一体いくつの出会いと別れを見届けてきたのだろう?
これ、個人的にベボベの隠れた名曲だと思っているのですが、ベボベクラスタの皆さん、どうですか? 都会っ子じゃないとこんな歌詞出てこないよね。


10.東京炎上/フジファブリック/TEENAGER(2008)
もしも雑踏の中に君を見かけたら世界は燃え上がる
最近「夜は短し歩けよ乙女」を見たせいなんですが、久しぶりに聞いたら森見登美彦が浮かびました。

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11.帝都モダン/相対性理論/TOWN AGE(2013)
セカイ系の舞台としての都市、東京
ラノベ・アニメとの親和性が高い相対性理論やくしまるえつこワールド。
「気絶してわたし気がついた」とかいう異世界ファンタジーの始まりを予感させるような歌詞。勇者になって世界救っちゃうシナリオがちらつく。

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12.ユリイカサカナクション/834.194(2019)
あの月は、僕があの時見ていた月と同じなのに
上京し、都市で奮闘する中で消耗した時に染み渡る一曲。いつの間にかMVに年齢制限かかっていたんですけど、これでは議論の余地も与えられないですよね。運営側の回答を押し付けているようなもの。


13.東京/plenty/拝啓。皆さま(2009)
生きづらさと閉塞感、窒息しそうな毎日を生きてるあなたへ
若者のリアル。この曲から10年経っていますが、普遍的なテーマなのです。

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14.メトロ/tacica/jacaranda(2009)
現実は真っ黒で、過去は真っ白に美しい
メトロという言葉で地下鉄の東京メトロを連想する方も多いのでは。過去と今に対峙している主人公の心象が描かれています。
『あの頃』の死骸が窓に映っている、という歌詞の闇の深さたるや。これは自分の解釈ですが、地下鉄って外が暗いので車窓に自分の姿が映るじゃないですか。その姿を目にした時の感想じゃないかなと思うと本当に救いがなくて…猪狩サン...。


15.ひかり/FoZZtone/景色の都市(2007)
東京が近づいてくる――帰省した帰り道、上りの新幹線で聞きたい曲

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さて、あなたの知っている曲はありましたか?
新しい曲に出会えたのなら、是非お出かけのおともにしてください♩

D.A.N. TOUR 2019 "BEND"@恵比寿LIQUIDROOM (2019.6.27)

都会人は憂鬱をどうやって晴らしているのか、その答えがリキッドルームにあった。

 

D.A.N.は都会人のチルアウト、という印象が強い。先日6/11に「人と音楽」というフジテレビの番組でサカナクションの山口一郎さんが、D.A.N.Poolという曲を紹介していたけれど、その際に「染みる」という言葉でD.A.N.を形容していた。まさに! 

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音楽には多種多様な楽しみ方があるけれど、D.A.N.のそれは、いかに平熱でチルするか、ということにウェイトがあるような気がしている。熱狂的に騒ぐとか、熱量を持ったカタルシスではなく、夜のブルーの海の中で、くらげみたいに融解寸前まで透き通って、ふわりふわりと踊る、そんなイメージなのである。

 

だが。ミドルゾーンのPendulumTempestReplicaの流れを体感した時に、D.A.N.はミドルゾーンをこの布陣にするんだ…と、今のD.A.N.の本質をちらりと見てしまった気がした。中盤のセトリをどう組むかって、バンドのスタンスがかなり出ると思う。焦燥感を煽るような、ずっと頭の中の落ち着かない精神状態がビートになったような曲を2曲投下された後に、Replicaでほっとして、センチメンタルな精神世界に帰還する。終始クールにチルっているだけではなく、人間の揺らぎまでも汲み取って、その上で昇華させる、なんだか意外にも人間臭いというか、青さを感じたのだった。

 

今回の恵比寿公演を見た人なら、誰しも大歓喜したパートは、終盤のDiveBorderlandNative Dancerではないだろうか。BPMを上げて、スペイシーな表情に生まれ変わったDiveに踊らされて、BorderlandからシームレスにNative Dancerへ移行し、音圧も上がっていて、小林うてなさんの歌声が合わさった瞬間の多幸感たるや。ここが世界の中心~~~って思うやつ。最高ね。

 

本編はここで終了、だったのだけど、アンコールでChancePoolを披露。大悟さんが「恵比寿の夜はミストサウナ」って歌詞を変えていたところにグッときてしまった。

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 都会には息が詰まることも沢山あるけれど、こんな夜があるから、東京に来て良かったと思う。都会のメランコリックをチルアウトしたい時には、東京生まれのフリをしてD.A.N.を見る。冷たい地下室みたいな空間で揺れて、自我の境界線を無くして、夜に溶けて。

サカナクション流のマイノリティ賛歌、モスという曲

朝、家を出ようとしてマンションの外壁に力なく翅を休めている蛾を見かけると、ぎょっとする。そこだけまだ日付が変わっておらず、ひっそりと夜の余韻が漂っているような。

まるで人目を避けるかのように暗く、日の当たらない場所を選んでやってきた珍客。
朝の世界に、蛾の居場所は無い。

多くの生物が昼間に活動する中、夜の闇に生きる生き物。寝静まった街の街灯に群がり、チラチラと鱗粉を躍らせる。遺伝子に組み込まれた「走光性」のせいだ。生き方そのものがマイノリティに見えるし、どこか「居場所を追われた」集団のようにも見える。夜な夜な音楽と酒につられてライブハウスに集まる人種も、蛾の走光性に似たような「習性」ではあるが。

サカナクションと蛾の親和性は高い。

昼間にひらひらと美しく飛び回る蝶が「陽・昼・多数派・マジョリティ・協調性」の隠喩だとすれば、夜にちらちら妖しく飛び交う蛾は「陰・夜・少数派・マイノリティ・個性派」のメタファーである。蝶がサナギから羽化する場面というのは、何かと「美しく生まれ変わる」であるとか美化された物語の引き合いに出される。よって「サナギが蝶になる」というのは、ある意味手垢のついたマジョリティの表現だ。そこをサカナクションは『繭割って蛾になる マイノリティ』と歌ったのは発明だと思う。特に「割る」という言葉に垣間見える意志の強さである。マイノリティは教室の片隅で自我を殺して生きているのではなく、彼らにも彼らの美しい世界があり、筋があり、アンダーグラウンドを選び取って生きているのだ、と賛美してくれるような心強い歌詞だと思う。

『雨に打たれ羽が折りたたまれても』という歌詞も一癖あって叙情的で大好きだ。蛾は翅を広げて止まるのが普通であるから、翅が折りたたまれてしまったら蝶と同じであり、マジョリティ側への転落であるし、アイデンティティの喪失でもある。それでも『飛び交う蛾になる マイノリティ』なのであるから、多数派に染まらずに、好きなものを好きなように探して遊ぶ音楽変態やサブカル人間たちの応援歌にも聞こえてきて、モスという曲はマイノリティ賛歌として受け入れられていくのでは、と思う。教室の皆が好きな曲ではなく、ちょっと音楽通を気取ったアイツの好きな曲でもなく、僕だけが知っている、僕にしか分からない「最高」を探したいのだ。『僕はまだ 探していたいんだ』である。

『揺れてる心ずっと 三つ目の眼』という歌詞は、よく一郎さんが話している、白線の上をまたいで左右にバランスを取っている感覚のことだろうか、と思った。マイノリティ・マジョリティのどちらにも振り切らない、絶妙なバランス感覚はサカナクションの持ち味だ。「三つ目の眼」は「客観性」のことで、彼らは常に「三つ目の眼」を持って、自分たちをセルフコントロールしているのだろうと思う。

好きなものは比べられない。好きなものは好き。私はこれが好き、と思っていて絶対に良い。それが私らしいし、あなたらしい。学校に話が分かる人がいなくても、誰かに笑われても、好きを辞める必要なんて無い。私は『連れてく蛾になる マイノリティ』と歌ってくれる、サカナクションが大好きだ。これからも音楽の広い海の中を漂って、私だけの「好き」を探す遊びをしていたい。

 

TOMOE 2019@マイナビBLITZ赤坂 (2019.6.14)

例えば新学期のクラス替えで偶然席が近くなったクラスメイトと、会話をして、仲良くなって、一緒にいるようになって。だけれどもいつの間にか、それぞれに気の合う仲間を見つけて、だんだん一緒に居る時間が少なくなって、気づけば最初の関係は最初から無かったように、解消されていくような。春の淡い季節の記憶。何も始まっていなかった頃の記憶。あの子たちとは結局、次のクラス替えで離ればなれになった。お互い仲が良かったことなんて忘れてしまっただろうか。

TOMOE2019というイベントを見ながら、そんなことを考えた。

tacica, THE NOVEMBERS, People In The Boxという3バンドが7年半の歳月を経て、一堂に会する機会を設けた、なんてロマンチックな話だと感じる。けれど本人たちは、至極シンプルな向き合い方をしているのだと思った。次はあるかもしれないけれど、具体的な約束もしない。それが彼ららしさなのだ、と。

私の目当てはtacicaで、だけれど精神性やファッション性に関しては耽美派なノベンバが大好きだし、ピープルはART-SCHOOLとの対バンで見たときの難解な絵本のような雰囲気が忘れられずにいて、とても楽しみにしていた。

tacicaは、本当にここ数年の間に変化したと思う。メンバーの脱退を経て、サポートメンバーを迎えながら活動を続けていくうちに新たな風が吹き込んで、どんどん開かれて解放的な陽だまりのような音楽が生まれていくのを感じていた。一ファンとして驚きと共に、戸惑いも覚えながら。

最新作のpanta rheiにて「万物は流転する」とテーマを打ち出した彼ら。変化を肯定すること。変化を恐れないこと。変わっていく自分を楽しむこと。変わらないものなんて、無いってこと。それは諸行無常であるとか、盛者必衰の理というように悲観的に、否定的に捉えられることもある。けれども、今のtacicaにとって変化は間違いなくプラスに作用するものであると思う。体制が変わったからこそ、挑戦出来る選択肢が増えた。ならば、それを選ばない手はない。今作からはtacicaの決意が感じられて、自らの変化を受け入れ、新たな表現へ向かおうとする姿はヒーローだと思った。

TOMOEのセットリストは
YELLOW
刹那
煌々
name
LEO
人鳥哀歌
キャスパー

という流れ。(Twitterより)

転換中、ステージをセットするときに、中畑さんが軽くドラムを叩いていて、それに合わせて小西さんがベースを弾いていたのが楽しそうだったな。4人とも出てきて各々セッティングしていた。

YELLOWの独唱からライブはスタート。猪狩さんの声は求心力がある。

「日常」だとか「大人になる」、「回想」というテーマが色濃く出ている「煌々」のような曲を、キャリアを積んできた今のtacicaに歌われると、泣けて仕方ない。

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極端な言い方をすると、「何も無くても生きていていいんだ」と思えるような曲。シビアな目線であれば「何も無くたって生きていくしかないのだから」とも取れる。過ぎ去った季節に思いを馳せて、今の自分と比べて落ち込んだり、何者だと言い切れない自分に対して焦ったり。そんな風に焦燥感のある毎日で、いつもの暮らしに追われているばかりで。何も進めていない気がする、と思ってふと足がすくんでしまう。そんなときに、「煌々」という歌は、今生きているという、シンプルな命の呼吸を思い出させてくれる。ソリチュードとしての充足感を聞く人に与えてくれる。日常を肯定してくれる、とも言えるし、命そのものを肯定してくれるような包容力のある歌。必聴なのです。

数少ないMCタイムの中でピープルのツアー告知を猪狩さんから聞く日が来るとは思わなかったw 大吾さんが忘れたらしい。盟友バンドの告知をした一方、残念ながら、tacicaからの告知は無いw

比較的新しいアルバムからの選曲が続き、懐かしい曲枠に何が来るのかと思っていたが、「人鳥哀歌」のイントロにフロアが反応する。

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隠れていたtacicaファンなのか、ピープルかノベンバのファンなのか、大人しそうに聞いていた人たちも体を揺らして楽しそうな様子が印象的だった。

最後は「キャスパー」で締めくくる。この歌に描かれる主人公のような夜を、出演者たちも皆、過ごしてきたのではないかと思った。良く分からない音楽の海に身を投げ、スピーカーから聞こえる声に耳を傾ける。その声はCDコンポから聞こえてくる、ひねくれた道化のミュージシャンの歌声なのかもしれないし、スマホのスピーカーから聞こえてくる、離れた場所で暮らす大切な人との会話のかもしれない。一人の夜に寄り添う音は、体に染み渡って、変拍子みたいな鼓動の指揮を取る。それが規則正しい寝息に変わるまで。

 

Syrup16g tour 2018 十六夜 冥途 開演前SE @新木場studio coast

syrup16gが一休みを告げて早二ヵ月。この記事が「あの時の音」を思い出すきっかけになれますよう。ふんわり待っているあなたへ。
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開演直前~登場SEはなんと。こちらだったようですよ。

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TYCHO JAPAN TOUR 2017@品川プリンス ステラボール

どこか広大な、地球の生命力そのものが感じられるような場所にTychoは連れて行ってくれる。まるで壮大な自然の中にいるような気持ちになる音楽。空、海、大地が見えなくとも、音楽だけで大自然を、地球に宿る生命力を想像することがあっただろうか。

ふわふわして夢見がちな音だけれど、芯にひんやりしたものや、力強いエネルギーの渦を感じる。時にグワッと襲い来るようなうねりを生み出す。Tychoは気まぐれみたいな音で、フロアを魅了していた。ステージ上下左右一杯に張られた紗幕には、飛行機の窓から見えるような雲海、赤い肌のごつごつした岩山、白く波立った海、隙間なく緑色の葉っぱが茂る森林、黄金色の光の中を飛翔する渡り鳥、などなど、ナショナルジオグラフィック的な映像が、楽曲に合わせて映し出されていた。東京公演より前に、公式Twitterに「Tychoのイメージってこんな感じだよね?」っていうのをドンピシャ当てられたようなVJの写真が投稿されていたのを見て期待していたけれど、本当に美しかった。雰囲気のある静止画や凝ったライティングよりも、映像のハマる音楽だと感じた。

時には幾何学的な模様や、そのバックにブロンドの髪の女性が映っている映像も流れて、映像は常に移り変わっていた。Awakeのジャケットの丸いマークも終盤で登場し、横に区切られたグラデーションの色が、電光掲示板によくあるように一枠ずつズレていって動きを出していたり、かと思えばEPOCHのデザインが、一曲終わるとデーンと幅の広い紗幕に映し出されたりと、遊泳と休息を繰り返して目的地に向かっているかのような気分になる。

Tychoをライブで見て気づいたことは、リズムの複雑さ。家で流しているときはあまり意識していなかったのだけど、いざ生音で体を揺らして楽しもうと思ったら意外とノるの難しかった。自分が8ビートのロック育ちだからっていうのもあるとは思うけど、リズムパターンが一筋縄ではないのだなと気づく。ふわふわと真っすぐに飛んでいるカモメが、時々翻って遊ぶみたいな軽やかさで、ひねりを加えて緩急がついている。前座でDJもしてくれたRoryはタダモノではないドラマーだというのが素人目にも感じ取れた。

前座のDJは、様々なノリのトラックをプレイしてくれたように感じた。キメのところが初聞きでも分かりやすかったのもいくつかあった。エネルギー大爆発でアゲにアゲる、踊らせるっていう感じじゃなく、じわーっと、踊るところは低音強めのトラックを流してみたいな、こういうのを所謂ミニマルテクノっていうのだろうか。紗幕には、黒に蛍光色の緑で、3D断面図のような立体的なものが描かれていたり、波形のようなものがゆらゆらしていたりとこちらもミニマリズム溢れる演出だった。

自分はアンビエントエレクトロニカといったジャンルを聞き漁ってtychoにたどり着いたというわけではなく、タイコクラブのようなフェスに通っているわけでもなく、サカナクション経由で知ったクチである。まだまだ勉強中だけれど、Tychoの高揚感の種類というものは他にないものだと感じる。良い景色を見たり、良い空気を吸ったときに満たされる、癒しも含んだ高揚感なのだ。高校の授業でやったタオイズムっていう言葉が浮かんでくるような、生命宇宙の根源のような、大地そのもののエネルギーをTychoの音楽から感じる。だから新年一発目に何を聞くか?って悩んだとき、Awakeを選んだし、2017年ライブ始めも結果的にTychoになった。流れ出ていく生命力を音で補完する、Tychoを聞くという行為は自分にとってそういう意味合いを持つ。

余談だけど、開演前SEも上質だった。こちらもどうぞ。
Bibio=山口一郎さん、みたいなところある。Tychoも来てたんかな?

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やくしまるえつこが「ミスド」と言った

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やくしまるさんはイメージに合わせて声色を変化させて「やくしまるえつこを捨てる」ことができる。そう思う。

例えば声優さんで、自分が「すごい」と思う人は大体、その人が声を当てていることを聞き手に意識させない人だ。やくしまるえつこミスドのCMは、この感覚がとても強かった。 やくしまるえつこの声、ではなくて、ミスドのショコラカーニバルという言葉や情報を伝え、商品にふわっとイメージを与えるような声。いつになく、やくしまるえつこの声がポップになっている。

自分は初めてこのCM見たとき、相対性理論でのボーカルとの差に「誰おま」状態だったのだけど、ミスドCMのナレーションであるなら、むしろ「誰おま」が然るべき在り方だと思う。ナレーションしてる人が、ナレーションの内容を邪魔しない、聞き手に声を意識させない、相対性理論やくしまるえつこを思い出させない、ということは理想的ではないだろうか。だってCMナレーションは、宣伝するものに注目を集めさせること、魅力を底上げすることが第一であるから。

ショコラ、という言葉、こんなに魅力的になるんだな。やくしまるえつこは声の魔術師だなと改めて思う。