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ラフ・メイカー vs サッドマシーン ~あなたを救うのはどちらか?

BUMP OF CHICKEN ART-SCHOOL

BUMP OF CHICKENART-SCHOOLにはそれぞれ「ラフ・メイカー」、「サッドマシーン」という曲がある。ともに機械のような名前を冠した曲だが、歌詞を追っていくと、あくまでそれぞれが本当は機械なのではなく「(架空の)人物」であることがわかる。ある役割をもった人物を、特定の働きをするために製造される「機械」になぞらえた、ということだろう。今回はこの「機械」をモチーフにした二曲からBUMPとARTの描く「救い」について考える。

 BUMPのラフ・メイカーは、部屋で泣いている主人公の部屋に突然やってきた人物で、「名乗る程たいした名じゃないが 誰かがこう呼ぶ“ラフ・メイカー” アンタに笑顔を持って来た」と自己紹介する。ここで、主人公は「ラフ・メイカー? 冗談じゃない! そんなモン呼んだ覚えはない」と叫ぶのであるが、ここがポイントだと思う。主人公は、助けが欲しいと言っていない。あるいは助けてと言えない。そして「構わず消えてくれ そこに居られたら泣けないだろう」と強がる。だが、主人公のもとには「ラフ・メイカー」という助け人が、救済のチャンスが訪れているのである。

 BUMPの歌に出てくる主人公は、その孤独な苦しみを救ってくれようとする誰かが作中に登場することが多い。こういう曲は、他にもあって、例えば「太陽」とか「Title of mine」とか「ハンマーソングと痛みの塔」とか。一人で苦しみの淵にあるとき、誰かが助けてくれようとするけれども、差し出された手を「ありがとう」と握り返して素直になれない主人公たちの歌だ。

 平気なフリをしていても見抜かれて、誰かが強引にでも救いの手を差し伸べてくれる。そんな温かな救済の物語がそこにはある。助けてと口に出さずとも、大丈夫?って気にかけてくれる人が現れて、自分も勇気を出して素直になれる。BUMPの曲には、「他者の歩み寄りによる救い」が最終的に待ち受けているのだ。

 一方のART-SCHOOLのサッドマシーンだが、主人公は何を叫ぶのか。

Sad machine
You’re sad machine
俺を救って
Sad machine
You’re sad machine
精一杯の笑顔で 助けてよ

(サッドマシーン/ART-SCHOOL

 「まるで機械みたいな笑顔ね」とある女性に言われ、彼女に見放された主人公は、精一杯の笑顔で「助けて」と叫ぶ。この曲、「灰になる前に 助けて 助けてよ」の一編で終わっている。醜い弱さをさらけ出し、「助けて」と叫んで救済を求めるものの、最終的に救いは訪れないのだ。アートは、取り残される主人公を美しく殺しておく描写が巧みだし、この絶望こそがART-SCHOOLの美学だ。

 ここで登場するのがサッドマシーンであるが、ラフ・メイカーほどキャラクターめいていないし、ラフ・メイカーのようにやってきてくれるわけではない。はたまた自分から救いのアクションをすることもない。それはサッドマシーンがyouという特定の人物であるからだろう。自分の望み通りに自らを救ってくれることのない「あなた」を、思い通りに操れるはずの「機械」に例えるというのは、ある種パラドックスだ。

 "Sad machine You're sad machine"とは、救済や慈悲を求める呼びかけみたいなもので、見放されても尚、彼女にすがってしまう「僕」の悲痛さが胸に迫ってくる。

 サッドマシーンとはどのような比喩なのだろう。愛を知らない、感情がない、人間味がない。欠落によって生まれる悲しみ、またそれを憐れむ主人公の視線・信仰。そして、情けをかけ、信じたものには救いを求める。たとえ裏切りが待ち受けているとしても。見捨てられたり、裏切られたりしても、一度自分を救ったものへの信仰は簡単に捨てることはできない。そして、惨めさを抱えながらも、変わらず救いを求めてしまうのだろう。

 孤独な「僕/私」の世界が「君」によって肯定されて広がる瞬間の救いを描く歌がBUMPのラフ・メイカーだとしたら、「僕/私」の世界が「君」によって否定されて孤独に崩れ去る瞬間の救われなさを描くのがART-SCHOOLのサッドマシーンだろう。

 どちらの曲で、あなたは救われるだろうか?