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The Cheserasera 秋の晩餐 2016 VS. Tour w/LAMP IN TERREN @新代田FEVER (2016.12.2.)

ケセラセラのフロントマン、宍戸さんが愛の長文依頼メールを送ったらしい、テレンとのツーマン。松本さんにはMCで「ナヨナヨした男」って言われてた宍戸さん、ほんとに「松本くん溺愛」だったの微笑ましい。

宍「僕が女だったら、松本くんのヨメ、嫁になりたい」
松「もうその『女だったら』っていう発想が怖い」
松「この後の打ち上げ、気が気じゃないですよ」

ケセラセラのライブ。ただただ、青くて。どうして自分は年上のバンドマンに青いなんていう感想を持って、涙目になって、羨ましくなってるんだろうな。

「○○(某社)のインタビューで、次目指すステージはどこですか!?とか聞かれるんだけどさ…」
「音楽が好きでやってきただけ」
「好きな音楽・嫌いな音楽ってけっこうハッキリしてて。色々ライブのやり方とか。」
「有名な、売れてるような人でもまっすぐな気持ちでやってる人もいるんだ、って」
「もっと売れて、みんなで楽しいことがしたい」

テレンのインタビューで「僕らは家で『この曲のここがいいよな!!』って言い合ってるだけでよかった」っていう節があったらしく、引き合いにしながら、こんな風にステージ上で葛藤をさらけ出してしまえる。 
売れようとセコいことしたくない。まっすぐに音楽をやって届けていきたい。そんな心の声が溢れだしているMCだった。

このまま、自分の代わりにロックしてくれ、と思って涙目になった。

現実と対峙しても魂を売り渡さず、媚びず、戦っている。純粋をまだ守り続けている、そんなフロントマンに胸が苦しかった。こういうのって、生きづらい道歩いてんなぁ、と思う一方で、とても心打たれる。それに、こういう人見てると、じっとりと後ろめたくなってくる。所々、純粋を捨ててしまった罪悪感が、意識にひたひたと貼り付くのだ。「夢」ってステージで叫んでる彼が本当に青くてまぶしくて、映画かよって。彼が叫ぶごとに、本当は現実に媚びていたくねえよ、っていう心の声は大きくなっていった。

GRAPEVINEの風待ちを、テレンの松本さんと一緒にケセラでカバーするっていう粋な計らいがあった。

演奏してるとき、皆がただの音楽好きな兄ちゃんになってて楽しそうだった。宍戸さんは、愛しの「松本くん」の横で歌ってるせいだったのもあるだろうけど。(宍「友達とかもう諦めようかなと思ってたんだけど…あのね、懐いちゃうんですよ僕」)歌い方も心なしかバインの田中さんに寄せてた。

好きな曲を演奏して、ただただ楽しそうなミュージシャン見るのってこんなに苦しくなるんだ。かっこいい!とかいうトキメキではなくて。彼らの中にある音楽への愛情を、そして音楽と共に横たわっているであろう「記憶」の存在に思いを馳せて、苦しくなる。

きっとこの人たち「大人」になれないんだ、自分とは違った方法で「大人」になっていくんだ、って思うと苦しさは募るばかりだった。ある意味ケセラの宍戸さんは欲がなくて、でも欲を見せろとプレッシャーがかかる場面もきっとあって、窮屈な時もあるんだろうな。

フロアの床にはステージの照明が反射して、ゆらゆら陰影を作り出している。バイン通ってこなかった人も、通ってきた人も等しく、演奏に耳を傾けている。「好きなことしかしたくない」「やりたいようにやりたい」本気でそう思えている彼に、少し前までの自分を重ねて余計に苦しくなりながら、爆発しそうなセンチメンタルを抱え込んで、ステージを見ていた。

「夢を追いかけるバンドマンにお金を落とし、お情けのように声援と拍手を送る構図を露骨に描いた、演出の超ヘタクソな青春パンク映画」を見終わった後みたいな、もう青春とか夢とか希望とか、そんな言葉が頭の中で渦巻いて仕方がなかった。

ステージでは吹っ切れてるような姿も、優しくておとなしいお客さんも、セトリ中盤に古い曲を持ってきてのびやかに歌い、演奏するバンドも、曲紹介やギターソロでノリきれない最前列も。なんだか全部が愛おしくて愛おしくて。

ずっと気取っていたい。いつまでこんな気持ちになれるんだろう自分は。いつまで夢という言葉を信じて語っていられるんだろう。