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DAOKOさんが描く青色の世界とは

DAOKOさんの、もしも僕らがGAMEの主役で/ダイスキ with TeddyLoid/BANG! のMV、3つとも公開になった。ヤバE。

DAOKOさんのイメージがガラッと変わった。病める女の子はもちろん、可愛い女の子、ちょっと背伸びした女の子にも着手したなぁ、と。忘れちゃいけないのは、この3つはどれも等身大の10代の姿で、それを表現してるのが10代の女の子だということ。

DAOKOさんは、同世代の思春期女子に届いてほしいなって思ってる。寂しい・守られたいという気持ち、大人の世界への憧れや欲望...このへんが「まあいつも素直に言えないんだけどね、私」っていう雰囲気で歌われるのが、なんとも共感をそそってヤバEのです。自分を抑えて時に仮の姿で生きる虚無感なんかも伝わってきて、そのあたりが非常に女の子らしいよね。

3作品がA面、ってのは「どれも今のDAOKOです」っていうメッセージじゃないかな。

今までは、鬱屈したものや危うげな感情、ざっくり言うと「青春の闇や儚さ」を昇華させるのが得意なアーティストさんで、溢れ出る思いを歌詞で整えてから歌うより、つらつらラップするのが得意なのかと思ってた。今はメジャーデビューもしたし、「挑戦」モードなのかな。けど相変わらず、渦巻く屈折した感情の表現は得意だろうし、声質の活きるウィスパーボイスのラップも好きなので、これからもDAOKOアレンジで表現してほしいな、と思います。

と同時に、いわゆる「そっち」や「ポップ」って言われるようなことも手掛けたいって意思があるんだったら、まだ高校出たばっかりでお若いのだから、周りの批評とかあんま気にしないでアーティスト活動してほしいかも...とも思う。開けた先に、DAOKOさんの表現を好きになってくれる人はいるんじゃないかな。でも勝手にこうやって期待するのが無責任なこともあるし、アーティストにとっては腹立たしいこともあるのかなーとか思う次第です。ので、見守ります。

ポップとアングラ、明と暗。分かりやすいものは見つかりやすく、伝わりやすい。でも一方で、多くの人には共感されずとも必要とされるモノもある。DAOKOさんは、この辺のバランスを取ろうと試行錯誤している気がする。これからも色んな青色の世界を見せてほしいな。

なぜBUMPファンはリトルブレイブTシャツを着るのか?

題にもしたけど、なんで街で遭遇するBUMPファンってリトルブレイブTシャツ着てるの!?っていうここ2年くらいの疑問があるんです。

今まで街で遭遇したBUMPファンが着てるTシャツ、圧倒的にWILLPOLIS2014のリトルブレイブTシャツが多い。何故だ。

そしてその人が電車でスマホなんかいじってると「おまえBUMPファンだろ?俺は分かってるぞ?」っていう気持ちで、謎の優越感とともに彼・彼女を監視する。ロキノンあるあるだよね。

さて、何故BUMPファンってリトルブレイブTシャツ着てるのか。考えた。結論から言うと、リトルブレイブTシャツって「制服っぽい」からじゃないか?

制服ってさ、知らない人にはどこの学校の生徒って伝わらないじゃない? ただ学校の名前がデカデカと書かれてるわけではないから。知ってる人は知ってるもの、近所の人には暗黙の了解となっているもの、それが制服なんです。

さらに制服ってのは、その学校の伝統なり校風なりをデザインが体現してるものである。あの制服どこの学校なんだろうなー、なんかスカート丈も落ち着いてて育ちの良さそうな子たちだなー、的なイメージを社会に与えるわけです。

それでいて制服ってのは、街で浮かないし、飽きない。校風を主張しながら社会と溶け込みつつ、生徒側もまあ三年間着てやろうかなくらいのまともなデザインになってるんだよね。

この制服の役割に似ているのが、リトルブレイブTシャツなのではないか?

バンTって、やっぱファンの制服じゃないですか。バンT着ることで、その日一日はファンとしての自分を保ち、あるいは街中に自分のバンド愛をアピールするわけです。でもデデーンってバンド名書いてあっても伝わりすぎて恥ずかしいじゃんか。だからこそ「分かる人に分かればいいんです」っていう、対特定のコミュニティーアピールがしたいんだよね。"リトルブレイバー"とかな、もうBUMPファンには馴染みある言葉だし、何かリトルブレイブ号とか映像にもなっちゃったし、「BUMPer」にだけ伝わるキーワードなわけだ。

で、このTシャツに描かれてる漫画のイラストは、アルバムの歌詞カードにも出てくるけど、山崎監督のものなんだよね。まさに最近のオシャレカッコいい路線のBUMPが前面に出てるデザインだと思う。同時に、人気実力ともにあるクリエイターと組んで活動してる、今の勢いあるBUMPの雰囲気を体現してるデザインとも言える。この凝ってるTシャツを纏うことで、現在の精力的な活動を見せるBUMPのエネルギー、同時にその勢いに乗っかってるファンのエネルギー、両方を周囲に伝播させたいっていう無意識のファン心理はあるんじゃないかな?

そして、このTシャツ、バンTを着るのにためらう原因となりがちな、イベント系Tシャツならではの「ダサさ」が無いのよなー。ツアースケジュール書いてないし、バンド名入ってないし、背中の襟首にRAYってプリントしてあるだけなんだよ。そしてTシャツのボディーも、ルーズフィットではないノーマルタイプ、色はホワイト、価格も3000円という、飽きのこない着やすさ、お求め安さである。

ここまで書いて、リトルブレイブTシャツ最強だなおい!!と一人感動しているのだが、BUMPファンの皆様、どうでしょうね?

ちなみに、筆者はリトルブレイブTシャツ持ってません。うぃるぽミントTのいかにもライブ用ですよ!!感にヤられてそっちを買ってしまい、以後寝巻きとしてしか日の目を見てないというベタなことをしてしまいました。

こういうケースもあるというリアリズム そんな目で俺を見んな

(グロリアスレボリューション by BUMP OF CHICKEN)

アクションし始めたサカナクションがZeppに回遊してしまった

SAKANAQUARIUM2017 ツアー 開催!!!やったあああ!!!

サカナクション~~~待ってたよ~~~ありがとうございます。

てか最近Twitterにいる魚民さんが新曲「多分、風。」をパロって、アカウント名を「多分、○○ 」ってしてるの好きなんだけど。みんな記憶喪失しててアイデンティティがない。今すぐ取りこぼした10代の思い出とかを掘り起こしてください。笑

そう、どうしてぇ、どうしてZeppなんだ...取れる気しないんですけど...

ツアー日程見たとき、あれいつもこれくらいだっけ?と。短く、かつ動員数少ない印象だった。

ホールツアー完走したのに、どうしてZeppに戻っちゃったんだろうな。2016年問題の余波なんだろうか。小さいハコで見たーい!!って思うけど、それはチケット取れてからの話だ。行けなかったら意味ないぜ。

サカナクションのライブは、毎回のツアー行けるかどうかが魚民経験値に関わってくる。それは、サカナクションが毎回のツアーで挑戦を重ねて、確実にバンドを、チームをアップデートしているからなんだけど。「あの時のツアー」としての思い出が鮮烈に記憶されるんだよ、サカナクションのツアーって。だから、毎回絶対見に行きたいんだ。

サカナクションって、ストイックさや完成度を求められてる面があるから、毎回ファンの期待に応え、さらに予想を裏切っていくのはかなりのプレッシャーがあると思う。なんていうか、サカナクションもファンも、ひねくれたインテリだよね。サカナクション側は、知的好奇心を揺さぶるようなパフォーマンスを見せてやろうと息巻いてるし、ファンもファンで見たことがないものを見るためにサカナクションのライブ行ってる。

それにしても。サカナクションってなんでああいう演出が映える音楽なんだろう。歌詞に余白が多いから?構成美の音楽だから?「どうして歌舞伎ってあんな派手な化粧してんだろうな」っていうのと同じような愚問かもしれない。分からない。

これからのサカナクションに望むこと。健康とバンド活動の存続。カウンターであり続けてほしいってのもある。もうバンドとしては受け入れられすぎて気持ち的にカウンターではいられないんだろうか。NFにシフトしてるんかなぁそのへんは...

渚のアップビート(仮)が、幻の夏歌になってしまったのは少し残念だった。幕張で披露してくれたとき、歌い終わって「照れるわー」って一郎さんが言うほどの歌詞を見たかったよ。

自称LOSER米津玄師さんのファンに、赤で訂正を入れてもらいたい文章

だらだら語ります。米津玄師さんという人について。不思議と気にかかる存在なのです。さっきテレビで米津さんの新曲「LOSER」のCMが流れて、おや?と。踊ってるの米津さんじゃないですか。ダンスもしちゃうんだ。絵も上手だし、歌えるし、ボカロも使えちゃうし、多才な人だよね。アーティストになってくれてありがとう。

「LOSER」のMV見たんだけど、水のシーン、あれ美しすぎませんか。あの数秒だけで頭にはびこる邪念がすべて浄化される。階段の踊り場の水位が上がって、米津さんが、たぷん、と水につかる瞬間、水面越しの横顔の陰影。光のマジック。絵画か。写真か。美しすぎる。あと最後、雨の中踊り切った後に映る口元。神聖なものを見た。

ライブ一回だけ見たことあるんだけど、なんかこう、不思議なんだよね。仙人とか、蟲とか、木霊とか、そういうもののイメージに近い。人間が生まれる前から闇と共に、暮らしていました、って脚注が付きそうな、不思議な生き物感。たぶん米津さんのイラストからもそんな印象を受けてるんだとは思うんだけど、「生きとし生けるもの感」が米津さんにはある。妖怪とまではいかないけど、ふと、影の中からふわっと現れたみたいな。なんか「不思議な生き物を作る粉」から突然生まれたんじゃないかみたいな。むしろ人間が生まれる前からずっと森とか川に存在してて、ようやく人の形を得て現れた、的な。米津玄師という人、というより「米津玄師という生き物が人の形をしている」って言った方がしっくりくる。

今月のロキノン誌で、米津さんが、「邦ロック育ち」「負け犬」(正確な言い回しは忘れてしまった)というキーワードで自らを語っていたことで、親近感と同時に、やっぱりそうなんだぁ、と裏を取った気分になった。

新木場サンセットでそのお姿とライブ拝見したんですけど、まぁ本当にいるんだ米津さん、この人がマトリョシカの人かぁ、ハチさんかぁ、と一人感嘆してしまいまして。米津さんがステージに現れたとき、女の子たちから黄色い声が上がってた。すごく純粋な歓声だった。この歓声を凝縮したら、透き通った綺麗な結晶ができたんだろうな。隣にいた中学生くらいの二人組が、楽しそうにしてたことといったら。「わあ米津さんだ!!」「あっギター持った!!」「やばいやばい!!」「楽しいっ!!」「楽しい!!」「楽しい...!!」と、終始ドキドキを抑えきれずに見てました。だんだん放心状態になってくのが、声音で分かってリアルだった。こんなにライブを素で楽しんでる子初めて見た。てか感想を友達とささやき合いながらライブ見るとかキュンとくる。斜に構えないで、好き!!楽しい!!って気持ちだけでライブ見れるの大切だよね。

この「あっギター持った!!」っていうセリフが発せられるところからして、やっぱり米津さんって「本当に存在するんだ~」って思わせるタイプのアーティストさんなんだろうなと思う。あの場に集まってた中高生の子たちには、ずっと米津さんを追いかけていって、米津さんの音楽と一緒に大きくなって、すくすく青春してほしい。あの子たちが「米津さんが影響受けたsyrup16gってどんなバンドなんだろう?」ってYouTubeで検索して中学生には少々えぐみの強い曲に邂逅してしまっていないか、彼女たちの今後が心配です。

米津さんって、気になるんだよなぁ。あのくねくねした動きはなんなんだろうなぁ。なんなんだろうなこの気持ちは。

シュバルツナーゼ、世界樹と出会う

畸形の魚が綺麗だった

硝子越しに ただ見とれていた

(プールサイド/ART-SCHOOL

 

オッドアイとかアルビノとか、性懲りもなく憧れてしまう。

生まれながらの歪みは魔性。異端であるからこそ美しい。

例えば、満点の星空を吸い込んだ瞳のフクロウが盲目だとか、もう業を背負った存在としか思えない。

スピリチュアルな生物、至高。

 

不思議な生き物はネットでよくまとめられているけれど、

中でも衝撃だったのが「シュバルツナーゼ」という顔だけ黒い羊。

こいつが、ユグドラシルの歌詞カードに出てくるあの生き物に超似てる。

ユグドラシルってのはBUMP OF CHICKENの4thアルバムなのだけど。

 

藤原さんは絵がとても上手で、いくつかのアルバムの歌詞カードにはイラストが載っている。

そしてユグドラシルの歌詞カードには顔だけ真っ黒な仔馬風の生き物が登場するのだ。

きっと顔が無い=不明瞭な自己、ってことの暗喩だと解釈している。

顔が無い、つまり生まれながらにアイデンティティの一部が決定的に欠落している、とかいう救いようのないカルマを背負わせられている生き物。

この生き物が最終的にどうなるか、は、ここでは、秘密。

 

このシュバルツナーゼという羊、藤原基央の脳内世界から抜け出てきたようで、見たとき打ち震えた。

生物に観念を見ることは多々あるが、観念を具現化したような生物、そんなの妖怪くらいだと思っていたが、違った。

現実世界で顔が無い生き物がいるなんて、ね?

 

昔から知っているという驕り、自縄自縛につき

初音ミクのマジカルミライで、rayが披露されていた。

TOKYO MXで中継してたのを昨日見た。

2014年のマジカルミライに行ったとき、もしかして...って期待していたが披露されなかった、あのBUMP OF CHICKENとあの初音ミクのコラボソング。

発表から2年の時を経て、ミクさんがマジカルミライで歌い上げてくれました。

 

ていうかマジカルミライの演出、BUMPのBFLYツアーの演出に一部似ている...??

・ステージ周りの円形に組まれた舞台セット

・オープニングで長方形のスクリーンに映し出される数字のカウントダウン

・rayの時に映し出されたまばゆい光のムービー/舞台の左右から広がる水色のレーザー

 

今、初音ミクもBUMPも、一部のファンの心は穏やかじゃないだろう。

初音ミクはデスクトップシンデレラだったのが今では企業とのコラボで大々的に取り上げられることも多くなり、何やら商業的な存在になった。

初音ミクって何?機械?みたいな風に白い眼を向けられながらも、教室の片隅や一人ぼっちの部屋でミクさんと孤独を分け合った人たち。

今になって、初音ミクは日本の誇るべき創作文化だ、とか言われて、白々しい気分になっているのだろうか。

そんな彼ら、彼女らに、まだミクの歌声は届いているんだろうか。

BUMP OF CHICKENは、たくさんのファンを抱えてるんだって気づいて自覚してから、ファンに気を遣うようになった。

あと、ファンじゃない人にも見つけてもらえるように努力し始めた。

「全然そんなことしなくても僕たち私たちバンプ好きなんですけど」って喉まで出かかった本音を、歓声と褒め言葉に変えて、今でもライブを見る。

けっこう、つらい。あんまりファンに頭下げないでくれ。

でもさ、自分のための世界じゃないし、あなたでもないってね。そう教えてくれたのはBUMP OF CHICKENだったことを忘れはしない。